〇〇×地域おこし×教育(2)
2021年5月24日
地域創生☆政策アイデアコンテスト2020で「地方公共団体の部」地方創生担当大臣賞を受賞したアート集団「TOMOSHIBI」が展開している、外壁の黒ずみから絵をけずりだすかのように描き出す高圧洗浄機アート。地元の中学校や地域の人に愛される公衆浴場とのアートコラボレーションの話が進む中、アートと街の共存をテーマに、TOMOSHIBI瀬戸口さん・MOTORさんとミュージアムエデュケーターの会田大也さんとの意見交換会は今回も白熱したものになりました。
TOMOSHIBIの瀬戸口さん(左)とMOTORさん(右)
ーーTOMOSHIBI・瀬戸口さん
西指宿中学校の壁に高圧洗浄機で絵を描くという構想について報告があります。校長先生が美術担当やそのほか校内の先生に構想の内容を伝えたところ、先生方からは「良い取り組みだ」と好意的な感触を得られたということでした。現在はスケジュールを組んでもらっている段階で、授業の時間としては「美術」の時間を3コマ分取れるということでした。ただ、技術の授業時間をステンシルの型枠を作るためには使えないということでしたので、授業時間外で実施する場合は希望者を募るという提案をいただきました。人数は対象学年を絞ることで調整が可能だということで、これから話をつめていくことになりそうです。
■生徒たちが本質に気づくのは何十年も先のこと
TOMOSHIBIが今後予定している中学生とのコラボレーション活動。TOMOSHIBIの二人はどんな思いをどのように伝えていくのでしょうか。
ーーTOMOSHIBI・瀬戸口さん
今は先生方だけが知っている段階なので、これから中学生がこのことを知りどんな反応をするのか楽しみです。自分達も経験数を重ねることで見えてくるものがたくさんあると思うので、最初は作戦を立てずにニュートラルに接して、生徒たちの反応を見て私たちも臨機応変に対応していくのがいいんだろうと思っています。生徒たちにどう伝えるのかは難しい部分ですが、「楽しかったな」と思ってもらうことが一番かなと考えています。徐々に……それこそ大人になったときに「こういうことだったのかな」と思ってもらいたいですね。
ーー会田さん
まさにその通り! 文句を言うつもりでは無いのですが、誤解を恐れずに言えば中学生による税の啓発ポスターコンクールってありますけど、なぜ中学生が税についてポスターにしなければならないのかふしぎに思いませんか? この違和感というのは、リアリティーがないけど綺麗事を描いたら表彰されるところにあると思うんです。つまり、中学生が本質的なところにたどり着くまでには時間がかかるはずだということ。たった3回の授業が終わったタイミングでめちゃくちゃいい感想文を書いた子がいたとして、それは正直言って分かってはいない。大人が喜ぶ書き方を身につけているだけなんです。きっと、本質的にわかることは、喉の奥にひっかかった棘のように、ずっともやもやしていたものが急に抜けるようなもの。場合によっては40歳超えてから気がついたってこともあり得るかも知れません。
だから、中学生に体験してほしいのは「先生と言うことが違う、アーティストという人と接して違和感が残った」ということであって、それこそが学校の外から人がやってくる重要な意味だと思うんです。「学校の外にはアーティストという変わった大人がいて、普段は先生とニコニコしながら話をしているけど、圧倒的に違う価値観を軸に生きているんだ、こんなに世界って広いんだ」ということを感じる経験を残せれば最高だと思います。
ーーTOMOSHIBI・瀬戸口さん
「違和感がある人」というのはその通りだと思いました。学校の先生と同じことを言っていてもしょうがないですからね。仮に先生から「こういうことをやりたい」と提案があっても、その通りにやっているだけでは意味がないと、改めて思いました。すでに先生方から具体的な提案があり、確かに面白いとも思ったんですが、他所から来た我々が違うことを言って「先生とはまた違う意見がある」というのを実感させることが役割なのかもしれませんね。
ーー会田さん
せっかく外からアーティストがやってきたのに、校長先生に気を遣っている大人を見せつけられても中学生は嬉しくないんですよ。みんなのニーズもある程度は重視しつつも、校長先生の提案をそのままやればいいというのではなく、そこに「らしさ」が追加されていないといけなのではないでしょうか。
■「人生を変える経験」を生み出す独創性とリサーチ力
ーーTOMOSHIBI・MOTORさん
絵のテーマの話ですが、指宿といえば温泉や開聞岳をテーマにすることがどうしても多くなりがちです。なので、あえてざっくりしているもの、学校では描かないようなテーマを選びたいんです。「楽しかった」の度合いができるだけ高いことが重要かと思っていて、そこは妥協したくないんです。その思い出が、それこそ大人になってから「あんなことあったな」と思い出すきっかけになると思うんです。「実はそういうことだったんだ」という気付きになるように、「楽しかった」の度合いが高くなるようにしたいんです。
ーー会田さん
重要なポイントだと思います。こういった取り組みは、「何かとんでもない経験をした」と思われないとダメなんだと思うんですよ。「楽しかった」の一言で表現しきれないくらい楽しくないといけません。
ーーTOMOSHIBI・MOTORさん
壁に実際に描くというのも、僕が描いたものにステンシルするということも先生たちから提案して頂きましたが、そんな簡単なものじゃなくて、出来上がったもののクオリティがとても大事だと思うんです。「自分たちが関わったものがこんなにすごいものになるんだ」という衝撃が大事なんじゃないでしょうか。
ーー会田さん
まさにそこが本質だと思います。出来上がったものが想像の域を超えていないとダメだし、そのためには綿密な計画が必要。でも、TOMOSHIBIならそれはできると思っています。普段絵を描かれているので「何が失敗の原因なのか」はご存知でしょうから、その失敗の原因を設計上取り除いてきちんといいものができるような「方程式」をうまく作ることさえ出来れば、ミラクルが起きるはずだし面白いことにもなると思うんです。自由にやらせるだけでは到達できないようなクオリティーがインパクトになって、忘れられない経験ができればいいと思います。
ーーTOMOSHIBI・MOTORさん
絵のテーマは結構ざっくりでいいのかなと思っています。考える幅を広くして、たとえば「夢」とか……でも、授業でありがちな感じもするんですよね。実際に僕もそこに加わるので、僕が作った作品と生徒が作った作品を合わせたときにちゃんとしたクオリティーになることも重要になってきます。それについて、毎日悩んで考えているところなので、そこにも良いアイデアを頂ければばありがたいです。
ーー会田さん
テーマ設定自体をオリジナルで作っていくのもありだと思います。たとえば指宿に伝統的に伝わっている昔話があったとして、それを中学生たち自身に現代風に書き込ませていくという手法はどうでしょうか。ぶっ飛んでる設定ですが「今から3000年後に指宿で壁画が発見されたとして、どんな物語が描かれていると思うか」ということを中学生に考えてもらって、その物語を絵にするみたいなこと。「絵が苦手な子でも物語作りには携われた」ということもあると思うし、どんな関わりしろがあるか、その幅が広いと良いですよね。
ーーTOMOSHIBI・MOTORさん
物語を一から作るというのは面白い発想ですね。
ーー会田さん
こうした発想の例ですが、三輪眞弘さんという方は仙台の神社に祀られている数学者の物語を引用した計算アルゴリズムのようなものを作って、「アルゴリズムを人間が踊りながら計算していく」というストーリーを発明し、架空の神話として神社に奉納するというアート活動をしています。伝統的な神話などをある意味で引用しながら、一方で創作もしながら、という活動の好例ですね。
テーマ設定には方程式はないので、その場その場で考えて、あとはリサーチすることですね。多くの人が関わって絵を描くという企画はこれまでにもありそうだから、それをリサーチしてみていく。そして「これは使える」と思ったものをそのままパクらないで「何が面白いと思ったのか」ということを分析して、違う形ならどういうことができるのかを考えると、面白いテーマが浮かんでくると思います。
■自由な子どもたちの発想を生かす細かな授業計画
会田さんは教育とアートを織り交ぜた企画をしていますが、授業の設計を細かく描くことを重視しているそうです。大きな枠組みを考えながら、細かく落とし込んで「ここでどういう反応が欲しい」と言うところまで考えるということですが……中学生に教えていくことになる二人に、その意味を教えていただきました。
ーー会田さん
私は教育現場に出ていく機会には、協力してくれる人たちに「この時にはどう言う状況なので、どういうセリフを言う」ということまで伝えています。例えば、危ないことが起きる可能性がある時にはファシリテータの注意を常にみんなが持っていないといけません。それと同時に記録係へは「どういう写真を撮って下さい」ということも伝えています。「このシーンではどういう道具がこういう配置で並ぶはずだからここから狙うと手元も背景も全部写るからそれを撮ってほしい」と指示します。前回もお伝えしたように、イベントは生ものなのでアーカイブのための写真はとても重要です。
そして、ここまで考えることで児童・生徒の面白い声やアイデアを拾い上げられるようになるんです。教育現場では、アドリブで5分を割くためには、別で5分取り戻さないといけない。その時にタイムライン頭に入っていると即興的に応じることができる訳です。
打ち合わせをするTOMOSHIBI瀬戸口さん
■Artの定義とは
ーーTOMOSHIBI・瀬戸口さん
前回宿題になっていた「我々が思うTOMOSHIBIアートの定義」について、我々の考えをまとめてみました。(配布PDF参照)
ーー会田さん
ありがとうございます。お二人の活動について、実際に絵を描いて下さいという要望はあると思います。ただ、僕が興味を持っているのは「その要望がくることに対しては面白みを感じている」のか、または「世の中との期待とお二人が取り組んでいることの核心とのずれが面白いと感じている」のか、お二人はどちらだと考えているのかという部分です。
先走って言ってしまうと、僕が考えるTOMOSHIBIさんの活動の面白さは、「世間の人たちは絵の発注がされるということがアートだと思っているけど、実際は世間と芸術やアーティストとの接点をひっくり返している」ことが面白いんだと思っているんです。つまり、最初は絵を発注してくるんだけど、実際にやっているのは「絵を納品して終わり」ということ以上のものなっているわけです。指宿市民にとって芸術という言葉の意味が「絵画や作品」を超えた「ソーシャルコミュニケーションデザインが起きる可能性」だと気づいていくことが面白いんです。前回の会談でアートコンペに出していくことを勧めましたけど、それは世の中が思い込んでいる芸術の枠組みを外して、もっと広い分野で芸術・アートと社会の接点を築きあげることができるからです。一瞬、表面上は「受注して納品する」という形を取っているんだけど、内実はそのフレームを超えているということを面白がれる活動なんですよ。
ーーTOMOSHIBI・瀬戸口さん
でも、それは技術がなくてヘタクソでも成立するということですよね。
ーー会田さん
いえいえ、もちろん最低限の技術が裏打ちされないといけません。発注者が納得しないものが出来上がるとそれは問題ですから。
ーーTOMOSHIBI・瀬戸口
今、我々の活動はその「世間が思い込んでいる芸術の枠組み」を外れることができているんでしょうか?
ーー会田さん
これから数をこなしていくことで外れていくんじゃないかという予感はしていますね。頑なに旧来型の「芸術の概念」を持っている人もいますが、指宿という街にTOMOSHIBIさんの活動が広がっていく時に「彼らがやっていることは単に絵を納品しているだけじゃなかったんだ」と気付いてくれる人はいると思うんです。その「価値の転倒」のようなものこそが活動になってくるんだと思っている。これが社会というものが持っている概念の枠組みを彫刻していくという、ヨーゼフ・ボイスが言っていた「社会彫刻1」の概念に近い。
ーーTOMOSHIBI・瀬戸口さん
私たちも、出来上がった「作品」よりも「過程」を住民の方々が経験することによって、地域で何かやろうというときに新しい気付きややる気が生まれたりすることに価値があると思っています。
ーー会田さん
「良いライブは単にお客さんがお客さんの席に座ったままではなく、観客をも演奏者にしてしまう」と言うように、お客さんでいたつもりなのに自分が街を変える立役者になり、市民が重い腰をあげて動いてしまうということが起きるかもしれません。「自分たちの街を自分たちでどうにかしていく」という状況がTOMOSHIBIのアートによって生み出されていくのであれば、現代美術として真っ当過ぎるくらい真っ当な王道の手法だと思っています。住民たちがオーナーシップを取り戻していくことを感じていくということが良いですよね。
発想の転換が起きるまで、3日でピンとくる人もいるかもしれないし、3年たって「あのときTOMOSHIBIさんが言っていたことってそういうことか」と気がつく人もいるかもしれません。とはいえ、粘り強く活動していくことで意識が変わることはあり得る訳です。TOMOSHIBIが巻き込んでみんなをかえたということだけではなく、TOMOSHIBIさんがやって来たことで変えたいと思っていた人のトリガー、スイッチが入るということだってあるかもしれませんね。
ーーTOMOSHIBI・瀬戸口さん
実際、指宿にもそういう思いを持っている人がいると思うんです。「何かやりたい」という中で仲間を探しているという状況があった方が、とっかかりとしてはやりやすいと思っています。
■「街のために」だけでなく「私のために」なる実感が大切
ーーTOMOSHIBI・瀬戸口さん
新たな動きとして、役所のある部署からある建物の工事現場の仮囲いにウォールアートを描いて欲しいという提案を頂いています。我々としては単に仮囲いに絵を描くだけでなくて、建物ができることを市内外の人に知ってもらって利用してもらえるものするための建て付けを考えています。メディアにも取り上げてもらいやすい内容が良いと思うので、市内の9小学校に対して案内のチラシを配布して子どもを募り、MOTORくんが描いた下絵を基に子どもたちに制作を手伝ってもらおうかと企画しています。これからいろんな人を巻き込んでもらうためにどう仕向けていくのが大事なのかということをお聞きしたいと思っています。
ーー会田さん
小さなニーズがあるところに出向いていくことが成功の鍵ですね。「少し困っていることが具体的に解決される」というメリットがないと、「まちづくりにはいいんでしょうね、でも私じゃないでしょ」と思われてしまっては続きません。最初のとっかかりは小さな問題を解決していく「ジェネレーター」からスタートして、背景には大きな物語が控えているという立て付けがいいのではないかと思う。
私が過去に鹿児島市とやったKCICという文化施設の取り組みとして、2つの公募をかけたことがあります。その内容は「要らない道具類を引き取ります」と「店や家の中でちょっとした困りごとありませんか」というもの。例えば、「階段が抜けた」とか「看板を付け替えたいけど予算がない」みたいな依頼が来るわけです。この課題を組み合わせる。つまり、解決するための制作物を、廃材を再利用して作るという訳です。具体例としては、ある幼稚園で昔から使っている巨大な積み木があって、何かに使ってほしいという依頼と、歴史のあるビジネスホテルでチラシ置き場がほしいという依頼を組み合わせて解決するなどです。古い積み木のブロックを解体してチラシ置き場を作った訳ですが、両者困っているところだからこそ出向いていく意味がある。突然「廃材を利用したアートをやります」と言っても信憑性がなくて「お前がやりたいだけやん」となってしまいますが、一つの物語として、現実のニーズがあることと組み合わせてやっていくということにした。廃材にも使用者の思いが残っているので、ただの小奇麗な棚を作る以上の物語が発生します。こちらが強引に相手を巻き込んでも長続きしないので、巻き込むという考えを改め「地元が持っている引力」に上手に巻き込まれていくことを目指したい所です。
■穴を埋めるだけではなく、ミラクルを起こすことこそが課題解決
指宿では煤が「黒い邪魔者」として解決すべき「実際の困りごと」になっている中で、地元の人はどれほどの熱意を持って解決したいと願っているのでしょうか。
ーーTOMOSHIBI・瀬戸口さん
みなさん体が動かなくなることで歳を感じられているんですが、ああいう汚れはちょっとずつ汚れていくので、地元の人は「言われてみればそうだね、気にしていなかった」という人が大半なんです。だから海岸に描いたときに「こんなに汚れていたんだ」と気付いてもらえたと言う感じでした。
ーー会田さん
場合によっては「TOMOSHIBIの活動があることによって、家の壁が汚いことが認識されてしまうからやめてくれ」という声だってあり得ますよね。それがリアルな社会なんです。綺麗事だけでは成り立っていないから、長い時間をかけて議論していく中で変わっていくことがある。そういうことが重要なんです。
ーーTOMOSHIBI・瀬戸口さん
洗浄して生まれ変わる壁が少数派の時には文句がでて、過半数を超え始めたら「自分たちもやらなきゃ」という義務感に変わると思っていました。ただ、確かにご指摘の通り最初のとっかかりが難しいと思いました。
ーー会田さん
3年間という時間をかけて街を出歩いてコミュニケーションできるということのアドバンテージが大きくものをいうタイプのプロジェクトだと思います。
ーーTOMOSHIBI・瀬戸口さん
実は、市長に報告したときにも「市に暗い印象を与えている」という発言をしているところに申し訳なさというか気まずさがありました。
ーー会田さん
そこから意識がゆっくり変化していくはずです。ピンチをチャンスに変えていく可能性を2人が示していくことで、市民が「どうやったらチャンスに変えられるのか」と思ってもらえたら最高ですね。何もしなければそのまま問題が存置されてしまうだけですから。
ーーTOMOSHIBI・瀬戸口
前回おっしゃっていた「うちの壁が汚いから描いてよ」というのは一見すると相思相愛のように見えるけれども、利用されてはいけないという旨のアドバイス。これが実は難しくて、ここに至るまでにちゃんと会話しておかなくてはいけないということだと思いますね。
ーー会田さん
コンセプトテキストや哲学を持っていればブレませんが、そこがふわっとしていると、相手に呼ばれていることに尻尾を振っていきがちになってしまいます。それだとマイナス1に対してプラス1を持っていって、結果ゼロにするだけ。「課題と理想のギャップを埋めました、以上!」ということになる。全然違うミラクルを持って来るということこそが技術でありアートだと思う。
「作品を作る」という階層のクラスは一つありますが、それとは別に「街のオーナーシップを取り戻させる」というクラスがあると思います。前者は「即物的な意味で目に見える手で触れられる作品」のことを指しますが、後者は「社会とか公共とか自治の意識とかいうものは一体なんなのか」という話になってきます。でも、「それらが一つの活動で繋がってしまう」ところが面白い。後者はアートとは関係ない人がやっている、公共政策大学院大学のような場で話している内容だが、2人がやっているアート活動はとてもナチュラルでスムーズにつながっている。「結果そうなっている」ということであっても良いんです。それを文章化することが今の段階から必要になってくると思っています。
■地域の「当たり前」に潜む「ならでは」の物語を見つけて
もう一つ、指宿市内の「徳光」という地区で運営している公衆浴場「徳光温泉」のタンクの字が劣化して文字が煤けており、新しくしたいという声があります。私たちとコラボレーションができないかという話が出ているので、これから具体的な話をするために顔合わせをする予定にしています。
ーー会田さん
徳光温泉を今、Googleストリートビューで拝見しました。いい感じに鄙びた建物で、「血が通っている」という印象を受けましたね。ずっと使われ続けている感じがします。
ーーTOMOSHIBI・瀬戸口さん
夕方になると、この公衆浴場に高齢の方が手押し車でやってきて、その荷車を駐車場に並べてお風呂に入っていくという、ほのぼのした光景を見ることができます。地域の方のために在り続けている温泉です。
ーー会田さん
地域には地域の固有の物語があります。それらは地域の人にとっては見慣れすぎた、近すぎて価値があるモノには見えなくなってしまっているかも知れない。アートのように別の角度、別の尺度で、独自のフィルターでそれらに眼差しを向ける、ということは社会的な革新とも通ずる「Out of Box」の発想へと繋がっています。地元の方に愛される温泉施設について、どんな眼差しを投げ掛けられるかが、今後、アーティストとして勝負になってきそうですね。
脚注
1: ヨーゼフ・ボイスが提唱した社会とアート、そして市民の関係性を示す概念。
https://artscape.jp/artword/index.php/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%BD%AB%E5%88%BB